優しさ
おやじは 基本的に 優しい人が好きだ
優しさには 幾つか 種類がある
例えば 何もしないのが優しさだったり
手を貸すのが優しさだったり
時には 厳しい事を言うのが 優しさだったりもする
以前の記事で 子どもに 何でもかんでも 与えるのは
よくない事ではない と言った
突き放さないで 何でもする
それは 手を貸す 手を貸す 手を貸すの連続だ
そうすると 何でもしてもらえると
だから努力しないとか 頑張らないとか思うが
そうではない 愛情のバランス?
愛情を感じる事 感じさせる事
与えるのは 愛情だ
それが物に化けてるだけだ
私だけが そう思うのか?
考え方は様々だ
きつい時 苦しい時 優しくされると ほんと 癒される
そんなこともなければ ガソリンが無くなり 車が止まるような そんな感じ
思い出したことがある
1つ思い出した事がある
まだ 子どもが小学生と一番下が3歳くらいの時
夏 釣りがしたくなり 仕事が終わって 土曜日の夜から出発
天草の牛深というところのハイヤ大橋まで行った
バタバタしていて ガソリンが半分強くらいあったので 大丈夫だろうと思っていたら
現地に着いたら半分切っていた
まあ 朝になれば ガソリンスタンドは どっか空いてるだろうと 思っていた
アジゴが沢山釣れた もう十分だったので
帰ろうかと思ったが ガソリンが余り無いので 朝まで待って帰ろうと 車の中で寝ていた
しかし 6時過ぎても 開かない
24時間のコンビニの駐車場の前がガソリンスタンドだったので
そこで 寝ていたのだが 開かないので コンビニの店員さんに聞いてみた
すると 今日は 日曜日だから 休みだと
市内では考えられない 田舎はそうなのか?
しくじった もう 一か八かの賭けに でようと 止まるか?着くか? 出発した
段々とメーターが下がり まだ80キロ以上あるのにーと 思っていたら赤ランプがついた
やばい
何とかしないとと 走っていたら
何と モービルの電気が見えた
じーちゃんが1人で開けていた
その時 じーちゃんが 神様に見えた
もー 拝みたくなった 神様はいた
またまた話はそれたが
優しさはガソリンで また 頑張って走れる
例えが下手で 申し訳ないが
私は 意地悪な奴が 大嫌いだ
根性が腐っているのか それとも自分が今まで されてきたからなのか
会社にも 沢山いる
自分さえ良ければいい奴が
今まで 色々観てきたが 多分 死ぬまで 治らないだろう
あれは 病気だ
いくら 言っても やって見せても ダメだ
自分なりに 与えても 与えても ダメだった
余り 関わりたくないが
何故か そういう奴が運悪く 相棒になったり 同じ班になったり
偶然なのかそれとも 誰かが仕組んでいるのか 不思議だ
神様じゃないと思う 絶対 人間の仕業だ
私は相手を変えるつもりはない
だって 無理 変わるわけない
穏便に お金だけもらえればと割り切る
いやだが 仕方ない 皆そうなのか❓
これで いいのかなぁー
妻に いったことがある
100年後は(みんな死んでいるから) 今見えている人は 誰もいないよと
すると 恐い事いわないでーと そんなこと考えると
時々 そんな生活が 嫌になる どこでも どこ行ってもこんな感じかと思う
なぜなのか
でも おやじには 守らなければならない人がいる がんば
まけんばい
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