考えた事
おやじ本当は11月13日で一旦60歳で終わり
その後はまた 派遣元より再雇用制度を使って派遣先に行く予定だったが
何と9月末で派遣先から切られてしまった
それを8月の終わりに派遣会社から急に言われた その話は前回もしましたがその時の気持ちとか思いはまだ話していなかったので 改めて話したいと思います
定年退職する事になってまず頭に浮かんだ事は 今から仕事を探す事は死に等しいと
今のままの給与を稼ごうなんかまず無理だろう 正社員の再雇用でも6割もらえれば良いほうだと聞く
ましてや 派遣社員なんてかまってもらえないだろうと どうすれば良いのか
頭がどうにかなるくらい衝撃を受けた 何故ならまだまだおやじ住宅ローンと息子の学資ローンの支払いが残っていた あと5年と2年まだ500万円以上ある
どうするのかわからない カウントダウンが始まった
年末ハッピーニュウイヤーのなら嬉しいが
それも 毎日きつい仕事が終わるたびのカウントダウン 地獄やわ〜
派遣が更新されないときいてしばらくしたその当時 出勤回数はあと25回くらいだったと思う
いわば 25秒で爆発か落下してしていくかだ
そんな思いの中 気を紛らわすための就活3回と出来るだけこの間に 残業して
少しでもお金を稼いでプールしておく事 それから 飯代をケチってあまり食わない事だ
そう思っていたら 全国的に広がった米騒動 おやじの住んでいる山梨も店頭から米が消えた
なのでいつも米を2合炊いていたが炊けなくなり とりあえず売っていたパックごはんを買って食べていた
しかしそれも売り場から消えてダメになった なので パンを食べたりラーメンを食べたり 夜はサラダだけとか 何か凄い食事になった
何故かというと もうすぐ引越しで 食べ物を残さないで使い切る必要があるからだ 無駄にはできない
あとからは5キロ10キロの米は売り場にでてきたがこんなの買ったら絶対残るのはわかっていたのでその日暮らしをして凌いだ
すると みるみるおやじは痩せてきて3キロも体重が落ちてしまった 頬はこけ みんなから大丈夫?って言われていた
自分自身は何ともないが 他から見れば 凄い顔になっていたのだろう
熊本に帰ったら 娘から何その顔と言われた
何だかんだで 乗り切った
話はそれたが 実はこんなひどい目に遭ってきたので一つ教訓の変歌じゃなく 変物語 勝手な解釈をしました
その物語は “浦島太郎” だ
変解釈 浦島太郎
人生というこの物語は 最高です 人生で とてつもなく迷い 苦しみ 詰まった時 この物語を 思い出して下さい
何も怖いものは ありません なぜかと言うと 浦島太郎は 自分の住んでる所に帰ってきて
玉手箱を開けたら 全く知らん人達だらけでした それを 想像してみました
この先何年後かわかりませんが いずれ貴方の事を知っている人達は 全て いなくなります
今の現代社会は 勝ったの負けたの 金持っとる持っていない 偉くなってる 誰と知り合い何をしてる
まさにどうでも良い事で くだらない事ばかりです
そう考えると 何でも 出来るはずです
なので 浦島太郎の様に いずれ 誰も知らない世の中になるのであれば
人の事は気にせず 自分を信じて いかなる事にもチャレンジし 頑張っていく事が
自分にとって 1番楽しい事なのではないでしょうか
それを この物語は 教えてくれているのではないかと
これが言いたくて ではまた
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